誰かのために生きることで、幸せになれるのだろうか。

donburako/ 9月 12, 2017/ 人生論, 新婚生活, / 0 comments

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こんにちは。どんぶらこ太郎です。

今日も流されて生きています。

突然ですが、みなさん「誰かのために」生きたこと、ありますか?

私はありません。

ずっと「自分のため」に生きてきました。

これからもきっと、本質的にはそうなのかなと思います。

ですが、最近、私にも自分と同じかそれ以上に大切だと思える存在ができました。

妻と、馬です。

今日は、自分以外の誰かのために生きることは、幸せになれるのか、考えてみたいと思います。

 

自分のために生きるのは孤独?

28年、ずーっと自分のために生きてきました。

「誰か困っているひとの役に立ちたい」

そういったことは一切ありませんでした。

とにかく「自分」

「自分」以上に大事な存在はいない

そんな感じでした。

 

けど、さいきんふと思ったんです。

「自分」のために生きるって、もしかして孤独で辛いことなのでは?

 

いや、誰かのため、とかいっても、けっきょくは「自分のため」なんだとは思いますよ。「他人を助けるためにこの世に生まれました」なんてマザーテレサ級の存在、ごく一般人の私にはとてもじゃないですがなれません。

 

28年間ふりかえったとき、人生の中心にいたのは、常に自分でした。

自分を中心に回る世界。

それは逆にいうと、誰も入り込むことのできない、孤独な世界なのだと思います。

 

頑張るのは自分のため、生きるのも自分のため。

そんなひとり相撲のような孤独な闘いに、心が枯れていく感覚すらありました。

 

最終的には自分のためだったとしても、どこかに「誰かのため」がないと、自分という存在を保てないのではないかと思います。

 

誰かのために生きると、世界が広がる

「なにより大切な存在」ができると、そのひと(他者)のおかげで、自分が存在できているような感覚になります。

しらずしらずのうちに、いろいろな場面で助けてもらっているな、と感じられるからでしょう。

 

すると、他者の存在=自分の存在、という図式がでてくるのです。

 

するとなにがおこるか。

いままでは、「自分の人生」=「自分ひとりの人生」だったのが

 

「自分の人生」=「大切な他者もふくめた複数の人生」になります。

 

大切な誰かの人生は、ほぼそのままイコール私の人生です。

すると、いままでひとり分の世界しかもたなかった私の人生が、ふたり分、さんにん分…とその幅を広げてゆきます。

 

大切な存在の数の分だけ、私の人生に吸いも甘いも返ってくる

「大切な誰かの人生=自分の人生」ですからね、その「誰か」の人生が幸せになれば、自分の人生も幸せになれると思うんです。

例え話ですが、ひとりの人生で受けとれる幸せの量が100だとします。

ふたりなら200、さんにんなら300。

さんにん分の人生がそのまま自分の人生なら、300までの幸せを得ることができます。

逆をいえば、さんにん分の不幸も自分の不幸です。

そんなイメージなのかなと。

 

タイトルを踏まえてまとめてみます。

誰かのために生きるということは、複数の他者の幸せが、自分の幸せと同義になる。不幸もまたしかり。

つまり、「誰かのために生きる」=「何倍もの幸せ・不幸せを得られる」ことなのではないでしょうか。

 

なので、誰かのために生きることで幸せになれるというよりも、自分のためだけに生きるより、より多くの幸せを感じるチャンスがある、という話なのかもしれませんね。

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