自由とは、自立することであり、人に依存すること。

donburako/ 11月 27, 2017/ 人生論/ 0 comments

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こんにちは!自由を求めすぎて逆に不自由なりゅっぴー(@donburakotaro)です。さて今日は、「自由」ってなんだ?ということについて考えてみたいと思います。きっかけはこちらの記事。

【佐山×藤田×松山】禅マスターに聞く「いかに生きるべきか?」

みなさん、自由に生きたいですよね?何にも縛られず、命令されず、自分の好きなように生きる。そんなことができたらもう最高です。でも「自由」ってなんなのでしょう?一体どういう状態が自由なのか、自由に生きるとはどういうことなのか、考えてみます。

 

自由とは、自分に由ること

記事内で、禅マスターであられる佐山さんはこう言います。

生き方は自由です。日本語での本来の「自由」です。自分に由(よ)る。フリーダムではなく、リバティーでもなく、自らに由(よ)る。それが日本人が元来持っていた「自由」という概念です。

 

ちなみに「自由」「仏教語」でググるとこうなります。

自由の「由」は<よる><もとづく>という意であるから他に由らず、独立して、自存すること、即ち<自らにもとづく><自らによる>ことが“自由”である。/大谷大学
(※「自存」:他の力に頼らず自らの力で生存していくこと。(コトバンク))

 

なるほど〜自立することが、自由ということですかね。たしかに、誰かに頼らなければ生きていけない状態って、なんだか不自由な気がします。精神的にも、経済的にも自立し、ひとりで俺は生きていける!ってなれば、自由になれるのかな。

と思いきや!全く反対のことをおっしゃっている方がいます。

 

自立とは、依存することだ。

 

!?!?!?!?!?

これは、どういうことでしょうか。

おっしゃっているのは、東大教授の安冨歩先生。(安冨先生は、もともと毛深いおじちゃんだったんですが、ある日スカートを履いたことから自分らしさに目覚め、以来「女性装」を続けている面白い人。)

この言葉が書かれているのはこちら。

 

 

なになに、本によりますと・・・

まず、人は誰にも依存しないで生きるということは、不可能だそうです。山にこもって自給自足の暮らしをしている人でも、山を伐採しないでいてくれる人に依存していると言えると。完璧に依存しないことはありえない。

逆に、自立しようと依存先をどんどん減らしていってしまうと、どうなるでしょう?最後には切っても切れない依存先だけが残り、その依存先のいうことを聞かざるをえなくなる。逆に依存することになる。断られ、関係を切られたら生きていけなくなりますからね。

この展開に従い、安冨先生は、依存先を増やすことが自立することだとおっしゃっています。理論的にはわかりますね。加えてこうも言います。

自立した人というのは、自分で何でもする人ではなく、自分が困ったらいつでも誰かに助けてもらえる人であり、そういった関係性のマネジメントに長けている人のことだ、ということに気づきました。

 

なるほど。依存というと違和感ありますが、助けてもられる関係性をつくることと思えば、依存が自立につながるというイメージがちょっとは掴みやすくなりますね。

 

まとめ

自由とは、自立することです。そして安冨先生によれば、自立とは依存すること、すなわち自分が困ったときに助けてもらえる関係性を増やすことでした。なのでまとめると、「自由とは、誰かに助けてもらえる関係性を生み出すことで自立すること」と言えます。

自由に生きたいというと、誰にも縛られず、関与されず、というイメージありますよね。けど本当は、積極的に他者に関わり、いつでも助けてもらえるような人間になることが、自由に生きることなのかもしれません。

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