自分探しのヒント。外向きではなく、内向きで考える。

donburako/ 12月 5, 2017/ 人生論, / 0 comments

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こんにちは!自分の情熱の源泉を探しつづける、りゅっぴー(@donburakotaro)です。

先日、このような記事を書きました。

「本当の自分」なんてどこにもないから、まずは自分を手放し執着を捨てることが大事だと書きました。それは今でも変わりませんが、一方で、やり方さえ間違えなければ、かならずしも「自分探し」は悪いことではないなとも思いました。今日は、自分探しのヒントとして、こういう自分探しならいいのでは、ということを書きたいと思います。

 

自分をどこか外の世界に求めるから迷う

「自分探し」と聞くと、自分探しの「旅」なんて連想しますよね。海外にいき、ふだんと違う環境に身をおけば本当の自分が見つかる…これはいうなれば「外向きの自分探し」だと思います。

これは、本当の自分がすでにどこかにあっていつかそれに出会える、という間違った妄想が前提にあります。自分は自分、いまそこで悩んでいる自分しかいないので、こういう思考回路に陥ってしまうと余計自分が見えてこなくなります。

最初に紹介した記事にも書いたとおり、本当の自分なんてどこにもありません。なので、このような外向きの自分探しはNGです。

 

「自分探し」という言葉が悪い

なぜこういった外向きの自分探しが、どこかに本当の自分を求めてしまう自分探しが、浸透してしまうのでしょうか。それは、「自分探し」という言葉の魔力が潜んでいるように思います。

おそらく、自分というものは探すものではなく、見出すものあるいは気づくものだと思います。

他のどこでもない、ココにすでにあって、その正体のベールをひとつずつ剥いでいくような作業が、本当の意味での「自分探し」になるのではないでしょうか。つまりこれは、自分と向き合うという意味で「内向きの自分探し」ということになります。

 

すべきは「自分との深い対話」

じゃあ具体的になにをすべきかといえば、それは「自分との深い対話」しかないと思います。

突然ですが、「お金2.0/佐藤航陽」という本にこのような一節があります。

おそらく、何かに熱中した経験というは誰でも子供の時にしていると思います。ただ、小中学校の教育を受け、やりたいことではなく、やらなければならないことを続けていくうちに、自分が何に興味を持って何に熱中していたのか、情熱の源泉を忘れてしまうのだと私は思います。

 

これを著者は、「心がサビる」と表現しています。

つまり、すべきはいわゆる「自分探し」ではなく、自分のなかに眠る情熱の源泉を掘り起こしていく作業=心のサビをとっていく作業なのではないでしょうか。それには、社会の常識や自分に対する既成概念を捨て、無垢な心で自分と向き合うことが必要なのだと思います。

 

さいごに

「自分探し」自体は決して悪いことではないと思います。むしろ、自分であることをあきらめ思考停止状態で生きていることの方がよっぽどよくないと思います。

ただ、「自分探し」も外向きになってしまうと負のスパイラル。自分の内面深くに潜り込んでいくような「内向きの自分探し」をしてみてはどうでしょう。

最後に、参考になる本を紹介して終わりにします。

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